2011年12月31日土曜日

1年の終わりに教育について考えてみる

このクリスマス休みで、デンマークとスウェーデンに来ている。それぞれの国がどう出来たのかを史跡や展示などから感じとる。そして、国としてこれからどうして行こうとしているのだろうと考える。さらに、今いるフィンランドと比較して考える。スカンジナビア3国に共通する事を感じる。人口は圧倒的に少ない。でも、そんな中で、国としてどうして行こうという青写真がぼんやり分かるような気がする。今の日本からは感じないもの。教育にしたって、バラバラだ。日本には多くの私立学校がある。私立学校というのは、基本的に自らの望む教育を出来る学校だ。(制約はあるが) 公教育の足りない事を補っていくための補完的な学校である。お金を払って、その権利を買う。確かに、これは公平なのかもしれない。でも、今の日本には大学受験と就職活動という大きな出来事が、この教育の線路上にある。また、教育の線路は他者と一緒である事を期待され、自分のペースを許さない。結果的に、日本の学校教育はこれらのゴールに合わせた形で作られる。このゴールによって、学校教育が決まっていると言っても良いだろう。果たして、このゴールは今の世の中にあった、次の世の中をつくる子供達を育てる事が出来ているのだろうか。日本として、国のこれからの青写真に基づいて、設定されているのだろうか。青写真の明確化と、そのゴールの再考。これらの必要性を感じる。そのためには、現場の教員が声をあげていかなければ、ならない。忙しい毎日に忙殺されずに。 フィンランドの教育の触れて、日本の本の国としての教育を考えてしまう1年だった。

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