2012年2月21日火曜日

なぜ日本は教科書を毎年、全員に提供するのか?

今日、フィンランドの高校でipadの使い方の研修を受けながら、素朴な疑問が浮かんだ。


なぜ、日本では毎年、教科書が全生徒に提供されるのか?



フィンランドでは、当たり前のように教科書は5年くらい繰り返し使う。

教科書準拠の書き込み式の問題集を使っている場合は、そのまま生徒に提供する。


それは本当に必要なことなのか?





ところで、itunes U コンテンツがしっかり整備されたら、最高だね。

日本のコンテンツも頑張らないと。

2 件のコメント:

  1. 今日、ブログを初めて読ませていただきました。
    フィンランドの北部の森に住む日本人夫婦です。
    フィンランドのすべてに惚れ込んで実際に移住してきました。
    私設で「フィンランド文化研究所」を開設しています。
    あなたが書いておられることに本当に共感します。
    「なぜ、教科書を配布するのか」
    もちろん、経済のためです。
    子供達のためでもなく、それが良いと考えたわけでもない。
    そうしないと企業が儲からないからなのです。
    教科書以外にも副教材があります。これはもちろん有料です。私の息子が中学のときも体育に全ページカラー刷りの分厚い副教材を買わされました。「柔道着」も「そろばん」も、わずかの回数しか使わないのにすべて新品を購入させられます。
    ある小学校教師から聞いたことですが、どのドリルを使うかさまざまな業者が競い合い、学期末になると教員室の先生の机の上にはたくさんの種類のドリルや副教材が提供され、山積みになるそうです。その教師はおかげで自分の子供のドリルを買わずに住むといっていました。
    次男が中学校に入学し卓球部に入ってすぐに、顧問の先生に1万円以上するラケットの購入を迫られました。もちろん業者と結託した上でのことです。
    数年前、当時の大阪府知事に「なぜ私達は制服を着なければならないのか」と中学生が迫ったとき、その知事が答えたのは「制服を廃止したら制服屋さんが食べていけなくなるでしょ」と答えたのを思い出します。それが本音なのです。

    日本の教育と、フィンランドの教育。
    これは根本的な、一番土台の部分での大きな違いがあるのだと思います。それは社会そのものの違いだとも思います。
    競争し、勝つことも幸せの一部に入っている価値観が渦巻く日本で、フィンランドの平等教育を取り入れる事は不可能に近いと私は思います。
    政治家たちの富と権力のために創られる政策が、良い教育を生むわけがありません。
    そしてそれを良しとしている国民性が間違いなく存在しているのです。
    一人の百歩より、百人の一歩を是とする国、フィンランド。本当にすばらしい国です。この基本概念があるからこそこの教育は成り立っていると思います。
    私も日本で生まれ、60年近く日本で暮らしてきた日本人です。
    その日本をわが祖国と誇れない哀しさを感じます。

    返信削除
    返信
    1. コメントありがとうございます。
      フィンランドと日本の価値観のちがい。私も痛感しました。
      モノ、経済というよりは、生き方としての豊かさをフィンランドでは感じました。

      でも、日本人として、日本の状況をどうにかしたいというのも私の思いです。
      どうにかしていくことが出来ないか。
      考えていきます、

      削除